その1 スタートアップ

草木も眠る午前三時。僕は茨城から千葉をまっすぐに貫く16号線をひたすら南下していた。気温は10度を少し下回る程度。ケイデンスは90をキープ。時折僕を追い越していく、こればかりは夜も眠らない長距離トラックに煽られながら、30km/hを少し超える速度で快調にクラインを駆っていた。
とても心地よい夜だ。
空には星が瞬き、風は無風に近い追い風基調。夜の底はしんと静まり返って、昨日オイルと古Tシャツで手入れしたチェーンが擦れる密やかな金属音と、トラックが巻き起こしていく風きり音以外はなにも聞こえない。
オールグリーン。
ドライバーとエンジンを兼ねる僕も快調そのものだ。家を出る時間が少々遅れた時はあせったが、これなら十分間に合いそうだ。
今日はオフ会。自転車乗りが集まるオフ会。
神奈川を中心にたくさんの自転車乗りが、出発の地、千葉は西の外れの金谷へと集結する。


自転車に乗り始めるにあたり、僕はネットからそのきっかけをもらった。その中の一人、僕がおっかなびっくり長距離自転車通勤を始める原因となった方。僕が自転車と巡り合うチャンスをくれた方が企画したイベントに参加するのだ。今日はその恩人とも言える方に会えるめったにないチャンス。またその方のブログを中心にネットの上で名前を追いかけるだけの人達も多数参加するはずだ。
それを思うと、ちょっと体温が上がる。
ちょっとした有名人やタレントに会う感覚?僕はあまりタレントに興味がないのでこの奇妙な気分に覚えはないが、きっとそうなのだろう。


闇に静まり返った千葉の市街をそろそろと抜け、海岸沿いを走る127号に乗り換えたあたりで前方に路肩を軽やかに疾駆する黄色いウィンドブレーカーを発見する。自転車乗り、ローディーだ。
快適な夜といえど、関東圏が最も寝静まるこの時間帯を走る自転車乗りはそうは多くないはず。きっとオフ会の参加者だ。大半の参加者はフェリーで朝日に満ちる東京湾を渡ってくるはずだから、あれはきっと僕と同じ自走組のモミアミモさんか、Tanyさんだろう。どちらも僕の中では有名人だ。


初めて姿を見かけてから、何度目かの信号でついに声をかける。
モミアミモさんだ!
でかい・・・そして細い。確か僕の記憶ではモデルをされているはずだ。僕も身長はあるほうだけど、完全に迫力負けしている。こういうのをオーラがあるというのだろうか。おっかなびっくりファーストコンタクトを果たした後、金谷までランデブーする事になった。光栄だ。僕のこの思いは数分後に後悔に変わる事になる。


速い!


常時35,6km/hは出ている。下りとなれば一気にメーターの読みは45km/hを超える。ペダルを踏む足はひと時も休まない。ちょっと待って。確か今日は200km超を走りきるイベントではなかったか。しかも時間制限付の苛酷な奴だ。ここで足を使っては、約束の地までたどり着けない可能性も出る。
それでも僕にもプライドはある。
前に出る時には、先ほどまで口の端から垂れていたよだれを拭ってペダルを踏む。かっこ悪い所は見せたくない。見せられない。
僕にとって、今日はこれから先何度あるかわからない自転車乗りの祭典、ビックイベントの日なのだ。どこに居るかわからない自転車の神様に僕の足が持つ事を祈る。
後ろに付くのも地獄、前出るのはもっと地獄なひとときが過ぎ、やがて左手側が少しずつ明るんでくる。
夜を抜けたのだ。もうすぐ朝日が差す。
爆走と言ってもいい特急トレインのおかげで、僕らは6時前に金谷にたどり着いた。予定より1時間も早い。爆走するにも程がある。今日集まる人達はこんな猛者ばかりなのだろうか。少々先行きに不安になる。
でも、そんな不安もモミアミモさんが(今日は例の仏像が入っている奴じゃないらしい)カバンから出した紙の束を見て爆笑に変わる。


「熱・烈・歓・迎・イ・ン・パ・ラ・ち・ゃ・ん・!」


と書いてある。
これをフェリーに向かって掲げるのだそうだ。聞けばそのためだけに自走したのだという。ありえない。人はそれだけで深夜100km超を駆け抜けられるものなのだろうか。信じられない程愉快な人だ。
今日集まる人達は、きっと自転車と、そしてこんな笑顔で繋がっているのだろう。
少しだけ緊張が緩む。


やがて同じく自走組の'鉄人'Tanyさん、さらに遠方から自走してきたTETさん(Blogでも猛者ぶりを発揮していたが本物はさらに猛者だった)。前泊されたトシさんと合流し、今か今かとフェリーを待つこととなった。


朝日に海は輝いて、天気は上々。風も穏やか。少しずつ近づいてくるフェリーの中にジャージ姿の仲間が沢山見える。嬉しくなって私なんて知らない人ばかりなのにも関わらず、ぶんぶんと手を振った。スタートはもうすぐだ。


素晴らしい一日になる予感がした。


その2へ続く。


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