その3 パレード・ラン

その1はこちらその2はこちら


その日の18時ごろ、暮れなずむ利根川をバックに僕は逡巡していた。サバンナは無事走り抜ける事ができた。風吹き荒ぶあの苛酷な地でなんとか生き残ったのだ。

今、無事約束の地へたどり着いた僕らは、生き残った者も大地に飲み込まれてしまった者も、みな互いの、そして自分の健闘をたたえ祝杯をあげようというのだ。僕の手にはサッポロ黒ラベルの350m缶が握られている。銚子駅はすぐ目の前だから、ここからは輪行だ。だけど、僕はまだ心の底で迷っていた。

本日一緒に走られたTanyさんはなんと自走で帰られるという。だからあのお方の手には本日一緒に走りきったボトルが握られている。はっきり言ってありえない。これだけの距離をかなりな速度で駆け抜けたのにも関わらず、まだ足りないというのか。

だけど僕も自転車乗りのはしくれとして、そこに憧れを感じる。正直もう足はボロボロだ。左膝の内側がしくしく傷んで悲鳴を上げている。姿勢が悪いせいか左肩が石になったかと思うほど硬くなっているしなにより肝臓から手が出る程ビールがほしい。

ここまで走って1日の走行距離は約330kmとなった。今までの最長距離が280kmだから既に50kmも更新した事になる。これなら糸魚川の大会にも胸張って出られる実績だ。だけど、もし、万が一、ここから自走で帰る事ができたなら一気に100kmプラスして400kmの大台を超える。

僕は自分の置かれた状況を省みる。一応相方には了解を貰っては来たけれど、目の奥にはブスブスと黒い火が燻っていた。間違いなく二度目はない。つまりこれを逃せば、400kmを超えられる日は無期延期ということだ。

ヨンヒャックキロ。なんと甘くそして危険な響きだろう。エンジン付きの乗り物だって気軽には走りきれない距離だ。幸いにして利根川沿いを自宅まで帰るルートは一度走行済みだから迷う心配はないし、だいたいの距離感もわかっている。今の僕でもまったく不可能な距離ではないはずだ。

だけどそこで「黒い僕」、いや「酒飲みな僕」が右耳後方からささやきかける。

「オイオイ待てよ、もう十分走っただろう。そもそもお前はなんのために今日参加したんだ?Blog上でしか会えない皆さんと飲めるチャンスが次にあると思っているのか?」

思わず僕の指がプルタブにかかる。

僕の左肩から「白い僕」いや「自転車乗りな僕」が反論する。
「走れる時に走ろう!来週は天気がくずれるらしいし、400km超を走れる機会なんてめったにないよ!ここで400km走れれば、今月は2千キロ行くかもよ!」

プルプルと震えながら、僕の手が缶から離れる。

だが、そこで「黒い奴」のダメ押しが入った。
「ひょっとしたらリアル'飲んで候'*1が拝めるかもしれないんだぞ・・・」

気が付くと力いっぱい乾杯していた。


う・ま・い・ぞおオォォォォーーーーーーーー!


味覚というのは相対的なものだ。300km走った後のビールは、例えるなら乾ききった砂漠に人知れず湧くオアシスの水だろうか。まさに命の水。

目の前には共に走りぬいた仲間、振り返れば利根川雄大な眺め。薄雲の彼方にもう日は沈んでしまったが、残滓がかすかに残って、暗闇を押しとどめている。いつの間にか微風となった風に、塩だらけの頬を撫でられながら僕は今日の冒険を振り返っていた。

みんな速かったなぁ・・
抜いたと思えばまた抜かされて、最後までみんなと一緒に走ったなぁ・・
そういえばみんなスネ毛がなかったなぁ・・・
僕も剃らないと駄目かなぁ・・・

やがて会場は、駅前の定食屋へ、さらに鈍行列車に移った。酔いが回ってきたのか、疲れのためか、がっくりうな垂れて「ジョー」になっている方もいる。

走り出した時間が違ったため、このイベントの主催者、僕を長距離自転車通勤へと誘ったmasaさんの走りは残念ながら見る事ができなかったが、なんと今、隣に座らせてもらっている!私より結構年上のはずだが、失礼ながら同じくらい・・いや下・・?に見える程若さに溢れている。グローブ越しに、握手までしてもらった。これは当分手は洗えんなぁー、と生まれたばかりの赤ちゃんの父とは思えん事を考える。

ニコニコ笑いながらチューハイを飲み、仲間と多いに語り、そしてだんだんとロレツがおかしくなって来たmasaさんと仲間を乗せ、鈍行はゆっくりと千葉へと進む。

僕はゆっくりと周りを見回し、空になった発泡酒の缶の底を覗き、ああ、もう1本買っておくんだったと考えながら、やがて真っ白な灰になった。




― 完 ―




4月の走行記録はこちら

blog ranking

*1:masaさんのblog'あぁ、湘南の夜は更けて'の人気コンテンツ