2009 ツール・ド・草津 レース 終盤 - そして戦い終わって

  • 終盤戦

今日は晴天で、上も下も視界は良好だ。おそらく僕はBクラスの真ん中頃のスタートだったので、前にも後ろにも車列が伸びている。
下を見下ろしては、自分が登ってきた高度に驚き、上を見上げてはまだ頂上が見えぬ事に落胆する。そんな事を繰り返しながら、僕は目標を放り出してただひたすらに山道と格闘していた。

どのくらいだろう、もう疲労で記憶もあいまいになっていたから確かではないけれど、たぶん最後の給水地点を過ぎたあたりだと思う。
「タレてるよー!」
うつむきながら坂道を登る僕に声をかけてくれる人が居た。ネロさんだった。よっぽど不甲斐なく見えたのだろう。
はっとした。もう2度と出ないと決めたから、きっとこのコースを登るのはこれが最初で最後だ。最後くらい死力を尽くさねば。
「頑張りましょう」
そんな事を返した気がする。半分は自分にだ。精神は肉体に引きずられるけれど、またその逆もある。その時の僕がそうだった。瞬間的に20km/hまで加速する。いかねば。ゴールはまだ先だ。
さすがにずっとこのペースを維持することはできなかったが、抜かれることもなくなった。
時折、風の影響か、上り坂なのに下り坂と錯覚する程加速できるポイントがあった。白根山が尻を押してくれる。そんな風に感じながら、ありがたく平均時速を稼がせてもらった。


気がつけばもうゴールまで1kmの看板だ。
道の脇に応援の人達が表れ、僕たちを声で後押ししてくれる。これもまたありがたい。斜度もゆるくなっているのか、またKLEINがスピードに乗り出す。スピードが出れば気分も高揚してくる。
こんな余裕があるなら、もっと搾り出しておけよ、自分。と苦笑する。そう、この時の僕は苦笑する余裕まであった。中盤にタレたせいで余裕を残してしまったのだ。残してしまったものはしょうがない。あとわずかとなったコースにぶつけるだけだ。
さらに声援が増え、視界の彼方にゴールラインを捕らえると僕は猛然と加速した。3・・・2・・・1・・・結局スタートの計測ラインを超えた時と同じか、もっと速い速度で僕はゴールラインを超えた。



  • そして戦い終わって

荒く息をついていると、ヲレさんに声をかけて頂いた。ほぼ同時にゴールしたらしい。そんなことにもまったく気がつかない程息が上がっていた。お互いに健闘を讃えあう。渋峠を彼方に見つつ写真を撮り、息が落ち着いてくると、後悔がむくむくと湧き上がってくる。
なぜ僕はあそこで頑張れなかったのか。もっと踏めたんじゃないか。もっと苦しむことができたんじゃないか。
落ち着いて体の状態をチェックすると、まだ大分余力がある感じだった。全然ふらつかないし、足も攣らない。1月にもてぎのサイクルマラソンに出た時は、レース後は歩くこともままならない程の疲労に襲われていたはずだ。あの時は自分の実力を超えたトレインに乗る必要があったので、無理矢理僕の中にある力が引き出されたのだろうが、あの力を自分の意思で引きずり出せるようにならなければ、おそらくヒルクライムでは入賞できないのだろう。

いつぞや読んだ「ただマイヨジョーヌのためでなく」の中でランスは言っていた。
「僕は苦痛に強い」と。

ああ、あれはこういう事だったんだ。トレーニングは辛さを減らしはしない。ただもっと大きな辛さと負荷に耐えられるようにしてくれるだけだ。
楽に速く坂を登る方法なんてない。僕より速い人は、僕より大きな苦しみに耐えたのだろう。この草津も、練習中も。


どうやら僕は草津忘れ物ができてしまったらしい。


さっきまではもう2度と来ないと思っていたくせに、今はどうやって来年も家族を説得するか考えていた。青い空。白い雪。透明な風。そして日常では絶対味わう事のない苦痛の先にある達成感。


ヒルクライム最高じゃないか。こんなつらくて楽しいもの、他にない。




2009年 第14回 ツール・ド・草津 リザルト
タイム 0:42:39.46
時速 18.2km/h
男子B 40位 / 657人 : トップとの差 +0:06:19.80
総合 121位 / 1909人: トップとの差 +0:09:07.64


オマケ

funrideのハシケンさん、シモンニさんと。今大会最大の報酬。