2010 もてぎ 100km サイクルマラソン − 登れなかった表彰台

まず、どうにもこうにも体重が重すぎる
体脂肪率が20%を、それも3%も超えた状態でレースに参加するのはシリアスレーサーな方に対する冒涜じゃないかと思える程だ。
年末年始恒例の暴飲暴食で、腹回りについた浮き輪を見ながらため息をつく。
短期間での体重増加は、比較的短期間で落ちるらしいけれど、さすがに明日がレースじゃ間に合わないだろう。
やっぱり真剣にこのレースに標準を定めるならば、正月行事はウーロン茶で乗り切るべきなんだろうな。だけど一年に一度の楽しみをアルコール抜きで終えるには後悔がありすぎる。だからこの浮き輪は僕が抱える、シリアスに徹しきれない業そのものなのかもしれない。


その上ブランクがありすぎる
10月28日から11月7日まで、実に42日間ロードに乗れなかった。
我ながら事故前はかなり調子が上がっていたと思う。通勤往路のCR区間を無風ならば37,8km/hで走れるところまでたどり着いていた。実をいうともてぎの表彰台もかなり意識していた。が、事故は無常にも、その心肺と足も奪っていった。
怪我が癒え、新しい相棒、オルカと走りだした時には30km/hを維持するだけでせいいっぱい。あ、1月はないな、と率直に冷静に実感した。
昔バスケをやっていた時のことを思い出す。1日練習を休んだだけで、次の日の練習について行くのがどんなにつらかったことか。3日も休めばただの人。いわんや42日をや、だ。だけど走り続けていれば、またいつかあの日の自分に追いつき、そして追いこすことが出来るだろう。
でもそれは先の話。


とどめに娘が熱を出した。
前日の昼くらいから鼻水じゅるじゅるで、目がうるんで来た。元気に遊びまわっているけれど、これは明らかな風邪の兆候だ。
体温を測ると38度近い。正直、レースは終わった、と思った。
そばに居たって男親にできる事は限られているが、そんなことを言い出すと入院するような事態でもできる事は、ほとんどない。
相方の指示通り、水をあげたり、体温を測ったり、オムツを交換したり、ハラハラしたりする、そんなところで精一杯だ。
でもたった3人だけの家族だからこそ、こんな時にはなるべく一緒にいなければ。
だから
「レース行くな、っていうなら行かない」
と僕が言った時、そっけなく
「居たって役に立たないから行っていいよ」
と言われた時にはびっくりした。そしていつも自転車に冷たい相方の優しさを感じた。
ありがとう。事故って新しい自転車を組まなきゃいけなくなった時もそうだけど、困った時に力になってくれる僕にはもったいない伴侶だ。


熱を出してつらいのか、泣きじゃくる娘に絵本を読んで聞かせる。不思議な事にお話を聞いている間だけは泣き止む。
いっすんぼうし、ももたろう、さんびきのこぶた・・・どれも真剣に聞いている。
熱を忘れるほどの熱心さで絵本の朗読を聴いていたとは、この時まで知らなかった。これからはもっと読んでやらねば。
しばらくすると娘のまぶたが落ちる。僕もやれやれと寝る。
ところが、30分くらいするとまた、エンエンと泣き出す。そうすると僕も起き出し、お茶を与えまた娘が寝付くまで絵本を読んであげる。
これをほぼ30分置きに夜中の12時くらいまで繰り返した。
まあ、どっちにしろ入賞を狙えるような状況じゃないし、そっちはいいんだけど車の運転が心配だ。
このタイミングで今まで仕事していた相方とバトンタッチ。3時間程寝かせてもらう。


草木も寝静まる深夜、布団から身をひっぺがし、準備を整え車で一路、ツインリンクもてぎへと向かう。
色々悪条件は重なっていたけれど、実に幸いにして天気は晴れ。ギリギリまで出るかとうか迷っていたけれど、僕にとっては年に一度のサーキットを走れる日だ。自然と気持ちは高揚する。途中のSAで、おにぎり3個を仕入れ、1時間置きに食べることにする。ドリンクは500mlのボトル一本。CCDと、BCAA+クエン酸を混ぜた、オンザロードK山さんレシピのスペシャルドリンクだ。

レースが終わったら速攻で帰らねばならない。表彰式は見れない。だけど幸か不幸かこれだけ悪条件が揃えば間違っても表彰台に登ることはないだろう。できれば前回と同じ程度には先頭集団について行きたい。そんな風に思いながら高速を順調に北上していた。


でも、そんな時に奇跡は起きるのだ。






(つづく)



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