地震の日

まず被災された方に心よりお見舞いを申し上げるとともに、犠牲になられた方とご遺族の方に深くお悔やみを申し上げます。


きっと小さいお子さんも居たでしょう。
まだ右も左もわからない子供が冷たい波に飲まれる所を想像してしまうと、そして守りきれなかった親御さんの無念を思うと、もう心臓をぎゅっと捕まれるみたい息が苦しくて体が冷えて行きます。


第一波が来た時、私は会社でいつものごとくPCとにらめっこしていました。
グラグラッと来て、うわ、なんだかいつもより大きいぞ、でもまあ慣れたもんだし・・と思っていたら、もう全然慣れの範囲を越えてものすごく揺さぶられます。
やべっ、と思って回りを見渡すともう誰の姿も見えません。みんな机の下でした。
私も遅ればせながら机の下に滑り込みます。ばたんっ、となんかの冗談みたいな音を立てて直後にPCが倒れました。


ゆれはなかなか止まず、もし天井が崩れてきたらこの机持ちこたえてくれるんだろうか・・ぺしゃんこかな・・・でもビル新しいからきっと大丈夫だろう・・・なんて考えているうちにようやく地震がおさまりました。


もう一度大きな揺れが来て机の下でブルブル震えた後、色々調べ始めました。


Yahooの地震情報を見ると、震源は宮城。山形の実家は大丈夫なのか?
電話するも当然のように繋がらず、メールを実家と相方に送りました。でもこのメールもいつ届くのかわかりません。
こんな中一番状況把握と連絡に使えたのが、twittermixi、そして携帯のワンセグでした。
さすが世界レベルのトラフィックをささえるtwitter。私がフォローしているのは主に自転車クラスタと呼ばれる、自転車バカΣ( ̄Д ̄;)ばっか属する所なのですが、それでもばしばし情報が入ってきます。最終的にはtwitterに連携させているmixi側のつぶやきで、実家の安否を確認できました。ありがたや。速攻で相方にもtwitterのアカウントをとらせました。


あとワンセグ。一度も使ったことないんで、どうせいらんだろうと次はワンセグの無いスマホに乗り換えようかとも思ってましたが、こんな事があると手放せませんね。
これで宮城沖でなにが起きているのか僅かながらも垣間見る事ができました。


交通機関が麻痺して帰る事もままならない中、会社では待機命令が解かれたので、ちょっと後ろめたさを感じつつも自転車に跨がります。17時くらいだったでしょうか。


もう歩道は徒歩帰宅と思われる人達で一杯。靖国通りは動かない車と脇をすり抜けるバイク、自転車で満たされています。でも淡々としていて、まったくパニックは起こっていませんでした。その時はなんも思いませんでしたが、後でtwitterに流れていた情報によれば、これだけの災害が起きて、略奪も暴動も起きないというのは全世界的に見て驚異的な事だったみたいです。パニックを知らない日本人すごい。その日本人の一員であることを誇りに思うとともに、もし外国に行っても冷静な落ち着いた日本人像を守らねば・・・という妙なプレッシャーが。Σ( ̄Д ̄;)


その日は結局8時くらいには帰宅できました。その日どころか次の日の遅くまで帰宅できなかった人も居るようなので、我ながら自転車通勤ってすげーなー、と思った次第です。長距離はともかくとして、1時間くらいで着く、20km圏内くらいの人は絶対自転車通勤した方がいいと思います。いやほんと。



まだ余震は続くようですし、今まで以上に大きな地震が来ない保証もありません。
私はたまたま茨城の南端に住んでいて被災を免れましたが、次はどうなるかわかりません。
揺れが収まらない中、「家族と離れては死ねない・・・」とそればかり考えていた事を思い出します。家から50kmも離れた所に勤務するのはいかがなものか、とも考えます。
まあすぐにはどうにもなりませんけれども。


とにかく被災をまぬがれた者、生き残った者の使命として、なんとか復興に寄与したいものです。ほんの少しでも。




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