2013 もてぎ100kmサイクルマラソン

□出発


起きた瞬間、僕は不機嫌だった。


時間は午前2時を回ったばかり。草木はもちろん妻も娘もすやすや眠っている。
なぜに目が覚めてしまったのか。いっそ日が高く登った頃あわてて、いやあわてる振りをしながら飛び起きれば良かったのに。
無精ひげをいやいやするようにこすり、布団の中でうなりながら、そう思った。
が、結局はまだあたりに漂う眠気を押しのけて起きることを選んだ。
口を開けば減量と言いながら、晩酌の悪しき習慣を絶てず、絶望的なまでに増加した体重。
普段着はともかく、体のラインが出る自転車用の服を着ることに抵抗を覚えるほど、腹回りがふくよかになっている。
下がる気温と比例するように減少していった走行距離。
月間で400キロは過去最低。年間でもついに1万5千キロを割っていた。年々寒さに弱くなっていくようだ。
練習嫌いの自分が、過去曲がりなりにも表彰台に登る事ができたのは、走行距離に支えられたためである、という自覚がある。
今の足、心臓は、自転車にのめりこみ始めた当時の自分にすら劣るかもしれない。

おそらく出走しても、100kmをレースすることはできないだろう。半ばまで先頭集団に残留できれば御の字で、後はサイクリングになるに違いない。今日の晩酌をかけても良い。


が、とにかく全ては走ってからだ。
走らないことには、このほとんど約束された最悪の結末にすら届かない。
年に1度出られるかどうかの、マスドレース。
出るだけでも、きっとなにか得られるものがあるはずだ。だらけきった僕の中のなにかを変えてくれるかもしれない。


まだまだ夜真っ盛りな中玄関の扉を開け放つと、ささやかな我が家にどっと冷気が流れこんでくる。
刺すような肌寒さに全身を包まれて、気持ちも切り替わる。覚悟もきまる。


行こう。


荷物と自転車を積み込んだ灰色の愛車に乗り込んで、エンジンをかける。
思いの外大きく響くエンジン音を静かに眠る住宅街に響かせながら、僕はツインリンクもてぎ目指して走りだした。



□レース
例年のごとく集団の中段左端に位置とりしながら、僕は順調にサーキットを周回していた。
予想に反して、昨年より随分楽な印象。確か前回は、スタートラインから唯一の登りにつながるS時カーブを、前走者から切れまいと必死に走っていたはずだ。
この位置は、周回数が異なる選手が多数左側を走っている事が多く、集団が薄くなりがちなのだ。つまりここで切れると集団を分断しかねない事になる。

今回は速度が遅いのか、5年も続けて出てライン取りの精度が上がったのか、必死に漕がなくても無理なく集団をつなぐことができる。

知り合いの@O2maさん、NGK君が近くに居るのも心強い。特にNGK君は今年大学生になる若者で、全身からエネルギーがあふれんばかりだ。集団から切れそうになったらぜひヘルプをお願いしたい。

周回数は10周を超えただろうか。
そろそろ動きがある頃だ。有力選手がウィンドブレーカーを着ているうちは、まだ大丈夫なはずだが、それでも前の方にいないと、思わぬ中切れに巻き込まれる可能性もある。
坂を登り切ったあたりで、絶賛増加中の体重にモノを言わせ、ゆるい坂を下りながら一気に位置を上げる。ほとんど漕がなくてもぐんと前に出られるところに、それほど僕は重いのか、と少し悲しさを感じる。まあ仕方ない。下り限定で重力は僕の味方だ。


ここまで調子がいいとは言え、おそらく最後までは持たない身の上、少しはレースらしいことをしてみたい。
せっかく位置を上げたので、さらに少し無理して先頭に出る。今年は風が強くこの場所は下り坂なのにあまり速度が乗らない。それでも気分は格別だ。
よし、これで去年の自分には勝った。昨年はただひたすらに集団にしがみついていただけだった。

ハイになって、ついペダルを踏みすぎる。
すると集団の前を一人でひらひら走っている状況になる。
予想はしていたが、トレインにはならない。誰だって無駄足は使いたくない。僕も使いたくない。
よってペダルを止め、集団に戻る。


こんな事を2、3度繰り返した後だっただろうか。
思ったより全然調子がいい事に、これなら最後まで集団に居ることができるかも、と気を良くしていた時だった。
突如として、選手が一人集団を飛び出した。
レースをコントロールするために参加しているブリッツェンの招待選手も一緒だったと思う。いや単に赤いジャージの選手だったか。ともかくすぐに距離が10m近く開く。でも二人。いずれ落ちてくる。
遊びすぎたせいで無駄に疲労した僕はそう考えた。


しかし、そうは思わなかった選手も居た。まずいことにそれは有力選手達だった。
彼らが一気にギアをかけ、逃げに向けブリッジをかける。
見た所、エキスパートクラスの選手ばかりだ。これに乗ればクラス優勝できる。死力を振り絞るなら今を置いて他にない。踏め、踏め...。


しかし、僕は届かなかった。
中盤で遊んでいたからだけではない。たぶんこれが年末走らなかったツケなのだ。脂肪が腹周りに溜まっていくことを厭わず、飲食を続けた代償なのだ。
節制し、L4、L5レベルで走る、そんな苦しいトレーニング無しに、ここで着いて行くのはムシが良いというものだ。


諦め悪く遠ざかるトレインを必死に追いかけるが、ほんの数十メートルの距離が、絶望的に遠い。遠すぎる。息が上がってきて、肺の苦しさが痛みに、そして熱さに変わる。焼ける、肺が焼ける、足も焼ける、極寒のサーキットなのに焼け死にそうだ。この苦痛に耐えるトレーニングはしていない...。


感覚的にはとても長い時間、しかしおそらく客観的には数秒、粘った後、僕は諦めて集団に戻った。たぶん、この判断は遅すぎたのだろう。そのために、二度目の追走集団ができた時には反応すらできなかった。 なんたる不覚。オレの馬鹿。


僕のレースは事実上、ここで終わった。


彼方に消えて行った逃げには同クラス選手はいないものの、40代クラスは、他のクラスの倍近い人数がひしめき合う激戦区。当然スプリンターも多いだろう。その上先頭付近を回している数名を除けば、みな集団の後ろで足を温存しているようだ。集団後方は落車に巻き込まれるリスクが高いのを承知の上での判断だろう。立派な戦略だ。が、同時に僕に勝ち目は無い事を意味する。


スプリントが無いとすれば、後は自滅覚悟のロングスプリント。いけるところまで行くしかない。
集団が最終周回に突入する。足もつりだした。ふくらはぎが僕の意思に逆らってピクピクいっている。でもどうにか最後まで持つだろう。
最後の登りを終え、なだらかな下りに突入する。ゴールまで約4km。


行くぞ。


体重にアシストされながら下っていく。目論見通り少人数の逃げになる。しかし強い向かい風がそれを阻む。レースの勝負どころだというのに、30km台しか出ない。もう足が残っていない。
あっという間に殺気立った集団が近づいてくる。ここまでか。
結局、ゴールの1km手前あたりで集団に飲み込まれ、そのままスプリントに加わる事なく、ゴールラインを超えた。それが、なんともあっさりしたレースの幕切れであり、2013年の始まりだった。


[終幕]
レース後、一周 @O2maさん、NGKくんとゆっくり走った。
彼らとはレースの中でたくさん話した気がする。ローディにとって一緒に走ることは、会話以上のコミュニケーションなのだと思う。
二人共、僕から見るとまぶしいくらいに若い。きっとこれからガンガン伸びていくだろう。
こっちはもう四十だ。いや、違う。まだ四十なのだ。
年齢で勝負が決まるなら、つい数日前に四十路になった僕が優勝しなければおかしい。同カテゴリで僕より上位の選手は、みな人生においても先輩なのだ。
そろそろ人生半ばとはいえ、二十代の頃の、まったく運動していなかった自分より圧倒的に今の自分の方が体力がある。それは間違いない。自転車が僕を絶え間なく鍛えてくれている。

しかし、体の持つポテンシャルを全て引き出す程のハードなトレーニングを積んでいる人間はごくわずかだ。それこそプロでもなければ、そこまで自分を追い込むことはできないだろう。


ということは、だ。
僕にもまだ、引き出せる力はあるはずだ。無くては困る。
年齢的には過去の自分を体力的に越えるなんて普通は言えないはずだけど、有酸素系の運動なら違う。自転車なら叶えてくれる。この乗り物は今や未来への希望だ。

来年こそ、表彰台の一番高いところに登る。

新年早々、あまりに早すぎる来年の誓いを立て、僕はツインリンクもてぎを後にした。


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というわけでクラス9位でした。
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